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津軽百景

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seebath 青森県は本州最北端の県。 南側は山間部で、秋田、岩手と陸続きですが、東・西・北を海に面し、 県の中央部は陸奥湾という地形で、釣り好きには最高の地形になっています。 そういう管理人も釣り好きで、釣行のついでに写真も撮り歩いていました。
そんなスナップ写真が増えてしまい、 個人のホームページを作って公開することとしました。 釣り以外にも県内をいろいろ歩き回って撮影した、 デジカメ写真のフォトアルバムです。
写真は素人なので大目に見てやってくださいm(__)m

更新情報 他

更新
更新情報
  • 2014/03/30:甲子園 記録追加・改訂
  • 2013/07/14:アップロード開始
  • 2013/07/16:ページ改訂
  • 2013/07/18:ページ追加
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リンクフリーですが、御一報いただければ幸いです。

弘前市

津軽為信公がお城を築いてからの歴史。 県内でも、全国でももっと古い歴史のある街は山ほどある。
外様大名でありながら江戸時代に藩主が一度も変わらず、 幕末まで続いた弘前藩は、 独特の文化や伝統を何百年と代々育むことができた。 津軽弁、ねぷたなど、そんなところから弘前の特徴が生まれていると思うのだ。 (弘前市HPはこちら〜弘前市HP
市内を散歩がてら歩き回って撮影したお散歩写真。

地理
盆地
青森県南西部に位置し、三方向を山に囲まれた盆地であるため、 夏は北東北でありながら意外なほど蒸し暑く、冬は気温が低く、さらに豪雪地帯である。
良い言い方をすると、「春夏秋冬がはっきりしていて、四季を通して変化に富んている」 となる。
西方には岩木山、南西方向には世界遺産の白神山地、 遠く東には八甲田連峰の山々を望む。
東北新幹線
東北新幹線が新青森まで開通後も弘前までの在来線の乗り継ぎが良くないのは、 多くの市民、観光客の不満であろう。
りんご
生産量日本一
青森県はりんご生産量日本一であるが、その中でも弘前市が最も多い。
品種では『ふじ』がおおよそ半分を占める。
ふじの由来
『ふじ』りんご発祥の地、藤崎町の『藤』が由来。
世界遺産の富士山とは直接関係ないようですが、 やっぱり日本一の『富士』を連想してしまいます。
(写真は市役所前にある郵便ポスト)
弘前公園
現存天守
戦国時代の他のお城と比較すると決して豪華ではないが、 江戸時代以前から現存する貴重な天守閣(全国で12天守) で重要文化財となっている。
落雷
1611年2代信牧により高岡城完成。当初天守は5層5階であったが、1627年落雷にて焼失。 183年後の1810年、御三階櫓として再建された。
津軽為信
津軽地方統一
津軽地方を統一した戦国の武将で、南部氏の一族であることが有力説。
関が原の合戦では三男・信牧とともに東軍に味方し、嫡男・信建は秀頼の小姓として大阪に置いた。
三成との繋がり
関が原以降、長男・信牧が三成の娘・辰姫を正室(後に側室)にしたことや、 嫡男・信建が関が原で敗れた三成の次男・重成を津軽に連れ帰っていることを見ると、 表向きは徳川方であったが、本心は豊臣方ではないかと管理人は考える。
太宰治
富嶽百景
太宰が甲府に住んでいた頃の作品の一つに富嶽百景という短編小説がある。
『FUGAKU』と『TSUGARU』は母音が全く同じ。
『富嶽』を『津軽』とかえてタイトル『津軽百景』としました。
まなびの家
昭和2年4月から5年3月まで官立高校時代を過ごした家。
修治が暮らした部屋や使用した机などがそのまま残されています。 所在地:弘前市大字御幸町9-1
(弘前市役所HPより抜粋)

市章
まんじ
卍(まんじ)は、藩政時代に津軽氏の旗印として用いられた由緒あるもので、 功徳・円満の意味で、吉祥万徳の相を表すといわれ、 明治33年6月から旧弘前市の市章として用いられてきました。 (弘前市HPより〜弘前市HP
マンホール
写真は家の近くにあるマンホールの蓋。 市章である「卍」が記されている。
最初は間違えて逆卍(=ナチスドイツのハーケンクロイツ)で作ったものもあったそうだ。 当然取り替えられた。

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